磔月

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大抵の事はそれなりにできて、これといってやりたい事もなくて。
大事なものも特には思い当たらなくて、想う相手もいなくて想われる事もなくて、家族は嫌いではないけれど好きでもない。
じゃあ何の為に生きてんのかとか、
もし今死んでもなにも変わらないんじゃないかなんて。



   1

「オマエ、死にたいの?殺してやろうか」
 学校からの帰宅途中。
 朝から降っている霧雨がうっとおしいと思いながら歩いている時、凪の前に突然現れそう云った。
「…………は?」
 傘を差していないのに、何故か濡れていなかった。
 肩を越すほどの黒い髪、黒い服、黒い靴。にやり、というのがよく合うような笑い。
「だ、誰だよお前……僕は死にたいなんて」
「思ってない?でも生きてる理由もないんだろ?」
「何、云って、」
「なんで生きてんのかなんて、そんなツマンナイ事考えるようになったら、それはもう死んでんのと同じだろ?」
「なん、で」
 そんな事を。
 誰だかも知らない、会った事もないこの人が、誰にも云った事のないこの気持ちを、知っているのか。
「――だったらもう、本当に死んじまえよ。」
 そう云われた瞬間、景色が歪んだ。



   2

 凪は駅のホームに立っていた。
「な……、駅!?」
 辺りを見回すと、それは自分がいつも使っている駅だった。改札を出て10分も歩けば家に着くだろう。
「なんで」
 さっきまで道を歩いていた。学校から駅に向かっていたのだ。
 そしておかしな事に、ホームには凪以外の誰の姿もなかった。
「どういう事だよ」
 そのとき、凪の後ろから声がした。
「”飛込自殺”だよ。明らかに他殺じゃ後で面倒だからな」
 先ほど会った男の声だった。振り返るが、そこには誰もいない。
「――何、云ってるんだよ」
 周囲へ視線を走らせながら呟く。
「大丈夫だよ。タイミングさえ外さなきゃ確実に死ねる。痛いなんて思う間もなくあの世行きだ」
 姿が見えることはなく、声だけがはっきりと聞こえる。
「……手軽だろう?」
「何なんだよっ、誰だよお前!?」
「生きる意味も理由もないんだろ?どうせオマエが死んだって、この世の中は何一ツ変わらない」
「――……、」
 それは。
 それは、怖くて。
 そうなのではないかと考える度に、自分はいなくてもいい、いらない存在なのではないかと。
 ――死んじゃえよ。
 その声とともに、背中を押された感覚が、あった。



   3

 駅を通過する急行列車の前に、ひとりの少年が飛び込む。
 耳を劈くブレーキの音。しかし間に合う筈もなく。
 騒ぎの隅で誰かがひとり、くすりと笑う。
 少し離れた場所で、壁に寄りかかり騒ぐ人ごみを眺めていた。
 くすくすと可笑しそうに笑う。まるで出来損ないの喜劇か茶番劇のようだと。
 嗤い続ける彼に気付くものは誰もいない。



磔月【さくげつ】造語。磔は「はりつけ」とも読む。
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