咲月

   0

雨が降っていました。
雨が降っていたのです。
その重みに耐え切れなかったかのように、
暗い隙間へと落ちてゆきました。



   1

 兄が死んだ。
 線路に飛び降りて、電車に轢かれて死んだ。
 三日前から降り続いている雨は、今日も止みそうにない。


「自殺らしいわよ」
「まぁぁ…そういえば、いつも大人しくて何考えてるんだか判らない子だったものねぇ」
 参列者たちは勝手な事を口にする。すぐ後ろに私がいることに気付くと、バツが悪そうな顔をして、移動する。そしてきっと今度は私の事について批評しあうのだろう。
(勉強のできるイイコねとか、云ってたくせに)
 所詮親戚の人たちなんて、近所の噂好きなオバサンと一緒だ。実際、地元で井戸端会議を毎日繰り広げているのだろうから。ただ、血が繋がっているらしいというだけで。
 弔問客はそろそろいなくなり始めてる。
 父親は親戚の人たちの相手をしてる。
 母親は飽きずに泣き続けてる。
 私は、
 縁側にいて。
(やっぱり泣かないと、変かな)
 兄が死んだという電話があって、実際に死体を見に行って、でも泣かない私を母は詰った。
 可笑しい。
 人でなし。
 やっぱり他人だ。
 そんな感じの事を言われた気がする。ちゃんと聞いてなかったから覚えてない。私はその時、せっかく私が実子じゃないって今まで隠してたのに、こんなところで暴露しちゃって良いのかな、ということを考えていた。前から知ってたから、驚いたりショックを受けたりはしなかった。
(泣くのって、どうやるんだっけ)
 ずっと泣いていない所為で麻痺しているらしい私の感情と目は、涙の気配すらない。
 周りを見回したら、私を見ている人は誰もいなくて。
 そこにあった、雨に濡れっぱなしのサンダルを見つけて、それを履いて歩き始めた。



   2

「アンタこんなとこで何してんの」
 腕を掴まれて、立ち止まった。相手の顔見たら、知らない人だった。
「えーと、散歩?」
「いやオレに訊かれても困んだけど」
「そりゃそうだね」
 なんだか呆れたような顔されて、だったら放っとけばいいのになぁと思った。私だったら、知らない人間が雨にずぶ濡れて歩いてても、気にも留めない。知ってる人だったとしても放っておくかも知れない。
「お人好しか!」
「……オレは、あんたの思考回路が見えるわけじゃないんだけど?」
「だって、普通こーゆーの関わりたくなくない?」
 面倒事は誰だって嫌いだと思うし。
「ああ、今日は優しげの押し売り日にしたから」
「へー…」
 優しさ、じゃなくて優しげ、なんだ。
「それに面白い顔で泣いてたし」
「へ……」
 驚いて、顔を触ってみた。濡れてるのは、雨の所為かと思ってたんだけど。
「……泣き方判んなかったのに」
「判んなくても泣けるときはあんだろ。涙腺はあるんだから」
 その言い方が、この人もそういう事あったのかな、と思わせた。訊かないけど。
「兄が、死んだの」
 訊かれてないけど言った。
「それはご愁傷サマ」
 本気で言ってないでしょって言ったら、アンタもアンタの兄も知らないから、って答えられた。それもそうかと思った。
「今まだお葬式の途中だったんだけど」
「じゃあ何でこんなとこ歩いてんの」
「それは私もよくわかんないんだけど……居る資格無いって言われた、から?」
 今朝母親に言われた言葉。兄が死んだのに悲しみもしないような赤の他人には、見送る資格なんて無い、とか何か意味のよく通じてない事を泣きながら言ってた。
 悲しいときは泣かないといけないのかな。じゃあ、泣いてないと悲しくないのかな。
「何言ってんのオマエ」
「え?」
 呼び方がアンタじゃなくてオマエになってる。とかぼんやり思う。
「何で居る資格が有るとか無いとかヒトに決めらんなきゃなんねえの。生きてる資格無いって言われたら死ぬのかオマエ」
「いや、死なないけど」
「あぁ、死にそうにないな」
「…………何?」
 何が言いたいんだか判んないけど。
「だからヒトの所為にすんじゃねぇって事。ただ自分が居たくなかっただけだろ」
「なんで?」
「兄の考えも夢も何も知らない奴らがごちゃごちゃ言うのが許せなくて聞いていたくなかったから」
「なんで……」
 知らない人がそんな事知ってるの。


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