玉響

「死ぬの?」
「うわあぁぁ!?」
 急に後ろから声をかけられ、驚いて足を踏み外しそうになった。
 慌てて手摺にしがみつき、体を支える。
「イキナリ声かけるなよっ……落ちたらどうするんだ!!」
 振り返り、怒鳴った。しかしその女は悪びれる風も無く云う。
「飛び下りるつもりだったんじゃないの?」
「心の準備とか、タイミングとかあるだろぉっ!?」
「ああ、そうなの?飛び下り自殺なんて、したことがないから判らなかったわ」
 甲斐は、数十分ほど前に自ら乗り越えた柵を再び跨いで、今度は内側へと移った。そのまま、其処に立っている相手のもとへ歩み寄る。
「邪魔すんなよ!っていうか止めろよ!!」
「矛盾してるわよ」
「うるっさい!!何なんだよアンタ!?」
「私は朱明というの」
「名前なんか訊いてねぇよ!」
 朱明はひとつ息を吐いた。
「私だって、人が死ぬのを止めようなんて思わないわよ。止めたって、死ぬ人は死ぬんだもの」
「…………は?」
 予想外の言葉に、間の抜けた声を出すしか出来なかった。
「でもね、」
 朱明は甲斐に指をつきつけると、
「飛び下りるのなら違うところからにしなさい。この下は大通りでしょう?」
 厳しい口調で云った。
「……何云ってんだ、アンタ」
「貴方こそ何を考えているの?今の時間は人通りも多いのよ。もし落ちてきた貴方とぶつかったなら、死にたくもないのに死ななければならなくなるわ。運良く死ななかったとしても、長い間入院しなければならなくなるでしょうね。貴方が死ぬのは貴方の勝手だけれど、関係無い人を巻き込むのはやめなさい。迷惑だわ。それが出来ないのなら、飛び下りなんてやめる事ね」
「―――……。」
 正論のように聞こえるのだが、何か、なにかが違う気がする。だから訊いてみた。
「なんか、違ってない?」
「考え方なんて人それぞれだもの」
「あ――…そう」
 じゃあその考えを押し付けるなよ、と云おうと思ったがやめた。反論されたら反論し返す事は自分には出来なそうだったから。
 甲斐はなんとなくため息を吐いた。
 あぁなんだかもう、どうでもよくなってきたなぁ。
「……あのさぁ、話、聞いてくれない?」
 誰にも話せなかった話を。
「まぁ、割と時間は余ってるわね」
 聞いてくれるという事らしい。甲斐は柵に背をもたれて座った。
「俺さ、イジメ?なんだかよく判んないんだけど、そんな感じになっててさ」
 体育で誰も組んでくれないとか。皆が知っていることを、自分だけ知らされてなかったりとか。話しかけてくれる人がいなくなったとか。
 人に云ったら気のせいだ、とか被害妄想だなどと云われてしまいそうな些細なことだった。
「確かにそうなのかもしれないんだけどさ。でもなんか、違うような気がしてさ」
 今では、こっちから話しかけても誰も答えてくれない。
「別にさー、なんかされてるって訳じゃないし。平気な人は平気なんだろうけどさぁ…なんかさ、俺はなんでここにいるんだろって思えてきちゃって」
 いる意味なんかないじゃん、って。自分がいたら邪魔なのかも、って。考え始めると止まらなくなる。そうして、とうとう。死んじゃえって思った。
「悪いとこがあんならさー、教えてくれればよかったのに。こーやってヒトに教えてもらおうって態度がいけないのかなぁ。でも、自分じゃ気付かないから今のままなんじゃん?教えてくれればさ、直せるかもしれないじゃん」
 判らないままで。話さないままで。なんだかひどく苦痛で。
 いなくなったら楽になれるかと思った。それから、皆後悔すんのかな、と。後悔したって死んだらどうしようもないけど。
「……で?死ぬの?もうすぐ日も暮れるけど」
 朱明が訊いた。
 空は赤くなっていた。端の方は紫がかっている。
「……どうでもよくなってきた」
 ただ、誰かに聞いてもらいたかっただけなのかもしれない。自殺未遂で、誰かが心配してくれたら。
 心配はされなかったけど。
「どうでもいいなら、また死にたくなるまで生きてれば?」
「うん、そうする」
 どうせもうすぐ卒業だ。死ぬのはもったいないかもしれない。
 甲斐は立ち上がった。
「俺、帰るよ。話聞いてくれてアリガトウ」
「…そ。じゃあさっさと帰んなさい」
「うん。……バイバイ」
「さようなら」
 階段を数段下りたところで気が付いた。そういえば、自分の名前を云っていない。もう会わないだろうから、教える必要もないのかもしれないけど。
「……あのさぁ」
 振り返る。そこには誰もいなかった。
「――朱明?」
 柵のところまで走っていって、下を覗いてみた。もちろん、いなかった。
 まるで初めから誰もいなかったかのように消えていた。
 甲斐はしばらく、そこに立ち尽くしていた。



玉響【たまゆら】@しばらくの間。しばし。Aかすか。

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